openSUSE 11.0 RC1 のリリースアナウンスメントでも Most Annoying Bugs として挙げられている下記、

GRUB config broken for other partitions.

…について、ついうっかり忘れて「やっちまったぁ」ので、自戒の意味を込めた備忘録です。

今回 11.0 RC1 を入れてみたマシンのパーティション構成は以下のような感じ。

  • /dev/sda1 -> Windows C:\
  • /dev/sda2 -> Windows D:\ (実は Windows は未インストール)
  • /dev/sda3 -> swap
  • /dev/sda4 -> Extended
  • /dev/sda5 -> openSUSE 10.2 (/boot)
  • /dev/sda6 -> openSUSE 10.2 (/)
  • /dev/sda7 -> openSUSE 10.3 (/boot)
  • /dev/sda8 -> openSUSE 10.3 (/)

この、10.2 で使っていた領域(/dev/sda5、/dev/sda6)に 11.0 RC1 を入れてみたのですが、インストールに伴い MBR に上書きされた grub からだと、10.3 が起動できないという罠が待ち構えていたわけです。

/boot/grub/menu.lst を見てみると、最初は本来自動で認識されて加えられているはずの 10.3 のエントリそのものが見当たらない。YaST 経由で追加してやっても

title openSUSE 103
root (hd0,6)

…というエントリがポツンと書き加えられるだけ。この後に続くべき

configfile /boot/grub/menu.lst

が見当たりません。

ただ、これはあくまで「YaST を通じてブートローダの設定をした場合正しく/boot/grub/menu.lst に書き込まれていかない」ということで、grub そのものが壊れているわけではないので、ここは慌てず騒がず configfile 以下を追記してあげて
# grub-install /dev/sda
としてやれば無事に 10.3 も起動できるようになってくれます。

実は私、コンピュータそのものに本格的に触れるようになったのは、すでに40代になってしまっていた後のこと。それまでは、当時勤めていた出版社で、共有のパソコンをたまにいじるくらい。やることも単に原稿の入力(当時、出版業界にも DTP の波が押し寄せ、原稿用紙に手書き、というスタイルがなくなりつつありました)くらいで、コンピュータの中で何がどうなっているのかまったく理解もしていませんでした。

そんな私の家にパソコンがやってきたのは2001年の半ば頃。「インターネットやメールがしたい」という家内に押し切られ、彼女の友人氏からタダでいただけるということでもらった Windows 2000 機(IBM の Aptiva)が、我が家の第1号機ということになります。(ちなみに、その Aptiva は今でも現役で、我が家のルータとしてその存在感を示しつづけています)

その当時すでに Linux という OS が存在することは聞き知っていて、「世界中のボランティアが寄ってたかって開発を進め、誰でも無料で使える」ということに興味を惹かれていた私は、「どうせイチから覚えなければいけないのだったら、苦労するのは Windows でも Linux でも一緒だろう」「だったら、Linux から先に覚えてしまおう」と、逆にな〜んにも知らないことを武器に、いきなりの Linux 生活に突入してしまいます。

最初にいじった Linux は、Vine Linux 2.5 でした。Web 上で調べてみたら「日本語環境やドキュメントが充実している」という情報があり、何よりも、何種類か購入した「Linux 入門書」に付いていた付録のインストール CD を試したところ、Vine だけが戸惑うことなく素直にインストールできたので選択しました。(インストールしたのは、すでに我が家のパソコンとしては2台目の、Windows XP がプリインストールされたパソコンでした。つまり、いきなり NTFS パーティションを縮小して空き領域を作り、デュアルブート環境を作る…という作業を行ったことになります)

さて、Vine でちょっとずつ Linux の勉強を進めていた私でしたが、大学時代ドイツ文学を専攻していたこともあり、ドイツ発祥だという S.u.S.E. (当時はこの表記が一般的でした)というディストリビューションがあることを知り、なんとなく興味を抱くようになっていました。

とはいえ、当時はまだ Web で調べてみても S.u.S.E. に関する日本語情報はあまりヒットせず、また、その頃は無償バージョンをインストールする場合は FTP インストールしなければならなかったこともあってやや敷居が高く、Vine から乗り換えよう、とまでは考えられなかったのが実状です。

そんな折り、SuSE のバージョン 8.1 がリリースされた際、LiveEval という、いわゆる LiveCD が合わせて公開されました。そのころ、KNOPPIX という 1CD の Live ディストリビューションが注目されていたこともあり、「お試し」しやすいようにと作られたものだと思います。これだったらハードディスクにインストールしなくてもどんなテイストか見てみることができるな、と、早速私は飛びついてみました。

起動してみると、ちゃんと日本語は表示できるし、かねがね噂に聞いていた YaST というツールはよくできているし、非常に使い易くまとまっているディストリビューションだな、という印象。すでに立ち上がっていた日本語メーリングリストにも登録し、インプレッションを投稿してみたり。これが、私と SuSE との出会いでした。

それでも、まだすんなりと SuSE に移行できるほど当時は私の環境が整っていなかったのと、なによりまだまだスキル的に心許ないところがあり、本格的に SuSE をいじるには至っていなかったのですが、先に投稿したことそのことさえ忘れかけていた数ヶ月後、いきなりメーリングリストへ私の投稿に対するレスがポストされました。Mike さんというドイツ人、いわゆる「中の人」からのレスポンスです。

正直、びっくりしました。

Vine のメーリングリストなどでも時折鈴木代表などがポストしているのを見かけたことはありましたが、ほとんどがいわゆるアナウンスであって、個々の投稿にレスポンスすることはほとんどなかったと思います。それが、遠くドイツの、SuSE Linux 開発の現場の人からレスポンスもらえちゃうんですから。

私自身も最初はそうでしたが、Linux をはじめとする OSS を使うにあたり、「無料」に惹かれて使ってみようと思うケースは多いのではないかと思います。しかし、最近は特にそう感じるようになってきているのですが、OSS(あるいは、RMS 的に「フリー(自由な)ソフトウェア」としてもいいでしょう) の本当の魅力は「無料」にあるのではなく、「『こうだったらいいな』ということに対して能動的に働きかけることができる」ということにあると思うのです。

SUSE との出会いは、私にそのことを実感させてくれる大きなターニングポイントとなりました。

私とSUSE

By tokamoto @ 2008-05-31 02:16

最初の頃の話。

ずーっと開発チームにいたのですが、いろいろあり、ちょっと鬱屈としていたところ、「Linuxのディストリビューションを買う」というニュースが飛び込んできました。ノベルって、いろいろ買収してきましたが、これはかなりの大事件。2003年末のことでした。

年末年始休暇、ボケーッとしていたら、こりゃやらねばと、持ち前の猪突猛進スイッチが入ってしまい、年始初日、社長室に飛び込んで「日本市場での普及を担当させてください」と言っていました。したら、当時の社長が、「じゃあ、提案書を持ってきなさい」というので、提案書を書いてメールで送ったんですね。

Googleで「SUSE」と入れて日本語検索したとき現在xxx件だが、x年でxxxxxxx件にする。

そのために、A、B、C、D、…..

とかって書いて。でも、返事がない。

数日後、トイレでばったり社長に会ったとき、「岡本、あれじゃぁダメだよ」と。

そもそも日本での展開をどうするかという根幹さえ議論になっていなかった時期でしたから、まったくの勇み足でした。

ですが、この件は後のLinux特別チーム編成に少なからず影響したようです。

時は下り、ある日の社長を含んだ数人の社員とのランチミーティングの席。

「”SUSE”ってなんて発音するんだ?」との社長の質問。やっぱり、みんなそう思いますよね。

で、「Googleで検索したら”スーゼ”が一番多いです」と回答したところ、「じゃあ、”スーゼ”にしよう」と社長が言うので、そこに当時の広報担当K女史がいたこともあり、そのまま「スーゼ」がノベルが使う公式な発音および読みが必要なときの表記となりました。

ドイツ語に堪能な方には怒られそうですが、裏では、SUSE Labsの岩井さんにはちょっと聞いていたりします。

さらに時は下り、2004年の3月。ノベルは1年に一度、米国Utah州のSalt Lake CityでBrainShareという技術者向けの全世界イベントを開催するのですが、この年は私は行けず。SUSE Linux買収直後ですから、それはそれは、面白そうなセッションのタイトルがズラッと並んでいるのにです。

そんな不運から気を紛らわすべく…というわけでもないですが、買収後初のSUSE Linux 9.1のリリースが近づいている時期で、せっかくだから日本語翻訳の範囲を広げようということになったんです。

で、ドイツにいるもともとSUSE Linuxの岩井さんを経由して、コミュニティ向けのリリースを管理しているAndreasと協調し、YaSTからインストールのスプラッシュスクリーンなどなど、かなりのタイトスケジュールでやったんですね。

それでこのバージョンから初めて、CDで起動して日本語を選べるようになり、日本語の表示がされるようになったと。

この年のLinusが出た基調講演は、Emacsのpo-modeで小指を引きつらせながら、Webストリーミングで観ていました。

この日本語化、仕事じゃないので、いわゆるコミュニティ活動と一緒ですね。

ここまでが、SUSE Linuxという製品がノベル株式会社のメインストリームに載る前までのお話。

この後の怒涛の時代は、また今度。