私とSUSE
最初の頃の話。
ずーっと開発チームにいたのですが、いろいろあり、ちょっと鬱屈としていたところ、「Linuxのディストリビューションを買う」というニュースが飛び込んできました。ノベルって、いろいろ買収してきましたが、これはかなりの大事件。2003年末のことでした。
年末年始休暇、ボケーッとしていたら、こりゃやらねばと、持ち前の猪突猛進スイッチが入ってしまい、年始初日、社長室に飛び込んで「日本市場での普及を担当させてください」と言っていました。したら、当時の社長が、「じゃあ、提案書を持ってきなさい」というので、提案書を書いてメールで送ったんですね。
Googleで「SUSE」と入れて日本語検索したとき現在xxx件だが、x年でxxxxxxx件にする。
そのために、A、B、C、D、…..
とかって書いて。でも、返事がない。
数日後、トイレでばったり社長に会ったとき、「岡本、あれじゃぁダメだよ」と。
そもそも日本での展開をどうするかという根幹さえ議論になっていなかった時期でしたから、まったくの勇み足でした。
ですが、この件は後のLinux特別チーム編成に少なからず影響したようです。
時は下り、ある日の社長を含んだ数人の社員とのランチミーティングの席。
「”SUSE”ってなんて発音するんだ?」との社長の質問。やっぱり、みんなそう思いますよね。
で、「Googleで検索したら”スーゼ”が一番多いです」と回答したところ、「じゃあ、”スーゼ”にしよう」と社長が言うので、そこに当時の広報担当K女史がいたこともあり、そのまま「スーゼ」がノベルが使う公式な発音および読みが必要なときの表記となりました。
ドイツ語に堪能な方には怒られそうですが、裏では、SUSE Labsの岩井さんにはちょっと聞いていたりします。
さらに時は下り、2004年の3月。ノベルは1年に一度、米国Utah州のSalt Lake CityでBrainShareという技術者向けの全世界イベントを開催するのですが、この年は私は行けず。SUSE Linux買収直後ですから、それはそれは、面白そうなセッションのタイトルがズラッと並んでいるのにです。
そんな不運から気を紛らわすべく…というわけでもないですが、買収後初のSUSE Linux 9.1のリリースが近づいている時期で、せっかくだから日本語翻訳の範囲を広げようということになったんです。
で、ドイツにいるもともとSUSE Linuxの岩井さんを経由して、コミュニティ向けのリリースを管理しているAndreasと協調し、YaSTからインストールのスプラッシュスクリーンなどなど、かなりのタイトスケジュールでやったんですね。
それでこのバージョンから初めて、CDで起動して日本語を選べるようになり、日本語の表示がされるようになったと。
この年のLinusが出た基調講演は、Emacsのpo-modeで小指を引きつらせながら、Webストリーミングで観ていました。
この日本語化、仕事じゃないので、いわゆるコミュニティ活動と一緒ですね。
ここまでが、SUSE Linuxという製品がノベル株式会社のメインストリームに載る前までのお話。
この後の怒涛の時代は、また今度。